吉野山に行くなら歴史を知り事前準備を 義経と静御前の物語と南北朝時代

奈良の吉野と言えば、桜で有名ですが、

吉野は歴史上の様々な人物にゆかりのある場所でもあり、桜だけではない魅力も吉野にはあります。

そこで簡単にではありますが吉野山の歴史を、ここで紐解(ひもと)いていきたいと思います。

私は吉野には、桜を1度だけ見に行ったことがあるのですが、

行く前に歴史的に縁のある神社や史跡について、詳しく知らずに行ったので、

そうした場所をめぐらずに帰ってしまいました。

後でそうした場所があることを知って、

せっかく吉野に行ったのなら、そうした神社や史跡にも行っておけば良かった、

と少し悔いが残りました。

吉野は桜の季節には人が混雑しますが、

桜以外の季節に吉野を訪れて、歴史に想いをはせるのも楽しいかもしれません。

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目次(複数ページに分かれた記事もあります)

吉野山の歴史 源義経と静御前


(出典「イラストAC」)

この吉野山は、兄の源頼朝に追われることになった源義経が、

弁慶や静御前と共に、身を隠していた場所だとも伝えられています。

この吉野の山中で、静御前は捕まり鎌倉に送られ、

その後、二人は二度と会うことはなかったと伝えられています。

鎌倉に送られた後、静御前は兄の頼朝の前で、

それでもなお義経を慕う歌を唄い、頼朝の怒りを買いましたが、

妻の北条雅子の取りなしで、命を救われたとされています。

吉野山は、義経と静御前のそんな悲恋の物語に、ゆかりのある場所でもあります。

吉野山には、義経や静御前に縁のある神社があり、

吉水神社には、義経の鎧(よろい)や静御前の着物のほか、

後醍醐天皇や豊臣秀吉にゆかりの品が展示されています。

吉水神社 公式サイト

また金峯(きんぷ)神社には、

義経が追手から逃れるために、隠れていたと伝えられる「義経隠れ塔」があり、

吉野山観光協会 公式サイト 金峯神社 紹介ページ

勝手神社には、静御前が捕まった時に、

舞を舞ったと伝えられる「舞塚」があります。

勝手神社再建委員会ホームページ

こうした場所を訪れて、二人の胸中を時代を超えて考えてみるのも、

歴史のロマンという気がします。

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吉野山の歴史 南北朝時代の拠点


(出典「イラストAC」)

またこの吉野山は、南北朝時代には南朝の拠点になった場所でもあります。

鎌倉時代には、武家が実権を握っていましたが、

鎌倉幕府が倒れると、後醍醐天皇をはじめとした貴族たちは、

天皇を中心とした「建武の新政」と呼ばれる新しい政治を行いました。

しかし時代は、武家が台頭していた時代。

武家を無視した、天皇を中心とした政権運営を

急激に推し進めようとした後醍醐天皇に対して、

足利尊氏をはじめとした武家が、天皇側と対立することになります。

足利尊氏は天皇家から新たな天皇を立てて室町幕府を開き、

後醍醐天皇を中心とした南朝側は、この吉野に逃れることになります。

そんな歴史の舞台でもある吉野山には、

後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮や、

吉野神宮 公式サイト

後醍醐天皇陵など、南朝にゆかりの場所もあります。

如意輪寺 公式サイト 後醍醐天皇陵 紹介ページ

こうした歴史にゆかりのある場所を訪れて、

歴史を感じるひと時を過ごす、という時間の過ごし方を、

吉野山では味わうことができるでしょう。

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